2011年08月30日
源兵衛川の想い出3ー広瀬

源兵衛川を下るとひろせ橋手前右手に二つに分かれた沼があった、川岸に大きな楠木が五、六本生い茂った静かな沼だった。写真 戦後、Iさんが沼半分を取得してして三島が誇れる市民の憩いの場ラペー喫茶店があった。
古くは広小路に抜ける広瀬西側に歌舞伎座があったが火事で消滅。終戦後、また現在の第二消防団広瀬駐車場の所にあった東海劇場は美空ひばり、岡晴夫、浪花節の三門博など実演がありよく見に行ったものだった。
源兵衛川の西側上段に緒明さんの大池を水源として清水町の千貫樋に流れる通称宮さん(蓮沼川)は夏には子供たちの遊びの場で毎日泳いだ懐かしい想い出は外すことが出来ない。
歌舞伎座の写真 市・資料より

2011年08月29日
源兵衛川の想い出

すこし寄り道。進駐軍の話しが出ると戦争の話しをしなくてはならない。簡単に。
アメリカ空軍の偵察機はサイパンから当時は一万メートルと聞く、高度で富士山をめがけて飛んでくる。豆粒より小さく見えるB29は三島の上空に来ると今度は90度くるりと方向変換して東海道を東に向けて偵察する。目当ては東京。1945年の東京大空襲。
沼津の大空襲も1945年(昭和20年)B29は駿河湾をエンジンを止めて低空で侵入する。照明弾で夜中西の空が突然真っ赤に光る。沼津の街は焼野原に。三島の私たちも家を捨てて安全な所に?避難もう防空壕は通用しない。4歳の弟を母親が背負って三人で逃げまとう。思い出したくない出来事だ。
2011年08月28日
源兵衛川の想いで

いまは他所に離れましたが65年の間三島広小路を流れる源兵衛川と共に暮(遊んで)らして思い出を辿って!!
私の源兵衛川の遊びの範囲は水生地源、楽寿園(当時緒明さん)〜広瀬〜お寺さん(蓮磬寺)広小路〜三ッ石さん〜伊豆箱根線鉄橋(製板所)まで。
まず源兵衛川の源、「緒明さん」小さい頃誰もいないまんぱんに湛得た神秘的なこの大池で友達と泳いだことがある、毎年冬になると周りの小ささ池にはオシドリや鴨が、池の回りの茂みにはゴイサギの群れが飛来する。
終戦後ここに進駐軍(アメリカ)がCIA情報部を置いたことがある、当時進駐軍は沼津に上陸して東海道を東へ広小路を行進しいて緒明さんに入った。2mはあろうかこの上に鉄条もを張り巡らした石塀の綺麗な水をたっぷり湛湛る大池の下段セリがいっぱいの溶岩の間から湧き出る水が柵をくぐると源兵衛川になる。当時私は小学5年頃の想い出。つづく!!
2011年08月24日
駿河湾のアジ釣り
これから駿河湾内浦では薄暮〜夜釣りの堤防でのアジ釣りがおもしろい。静かな夕暮れ時は感度の良いストロー浮きで餌のアミエビをなめるような当たりを取りながら楽しむ。
こまし袋でガサガサする釣る釣りは好まない。
だから一人で黙って静かに楽しむ。これが夕涼みにもってこい。
手 のひら大になった今時のアジは街灯の灯に着く。周りの街灯が点いたら一番小さいケミホタル仕込んだ浮きにかえて楽しむ。この頃になると当たりは鋭くやや大 きくなり渓流竿を満月にヒナラす。又これがこの釣りの醍醐味の一つ。浮きはストローを使って作る、簡単不細工ながら感度は抜群。写真上の浮きはケミホタル を仕込んだ夜釣り用、中と下段の浮きは薄暮用。ハリス0.4〜.06、夜は0.6号、道糸0.6〜0.8号、餌はアミエビ。
こまし袋でガサガサする釣る釣りは好まない。
だから一人で黙って静かに楽しむ。これが夕涼みにもってこい。
手 のひら大になった今時のアジは街灯の灯に着く。周りの街灯が点いたら一番小さいケミホタル仕込んだ浮きにかえて楽しむ。この頃になると当たりは鋭くやや大 きくなり渓流竿を満月にヒナラす。又これがこの釣りの醍醐味の一つ。浮きはストローを使って作る、簡単不細工ながら感度は抜群。写真上の浮きはケミホタル を仕込んだ夜釣り用、中と下段の浮きは薄暮用。ハリス0.4〜.06、夜は0.6号、道糸0.6〜0.8号、餌はアミエビ。

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ダブル
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23:18
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